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高梨城本丸跡

印刷ページ表示 更新日:2010年7月12日更新

高梨城(たかなしじょう)は、堀と土居(どい)をもつ大きな平山城(ひらやまじろ)です。
文明年間(1469年~1486年)には長尾能景(よしかげ)の三男、景長(かげなが)の居城でした。その後長尾氏の家臣高梨源五郎頼春の居城になったといわれています。

本丸の跡は、明治時代に畑として開墾されましたが、現在でも土塁(どるい)の一部がはっきりと残っているのがわかります。
小千谷市では、平山城の一例として非常に貴重なものです。

永禄11年(1568年)高梨修理亮守将が居城
天正7年(1579年)御館の乱の後廃城となる。
二の丸跡の畑地中央に安政4年(1857年)建立の城主の墳墓があります。

文化財指定日 1981年8月22日

高梨城本丸跡に建つ城主の墳墓の画像高梨城主の墳墓

高梨城本丸に今も残る土塁の画像今も残る土塁

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