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広川晴軒(ひろかわせいけん)資料

印刷ページ表示 更新日:2010年7月12日更新

広川晴軒(1803年~1884年)は、小千谷の旧家、広川三右衛門家の次男として生まれ、のちに分家の広川徳三郎家を相続しました。

広川晴軒肖像の画像広川晴軒の肖像写真

弘化3年(1846年)、算学者の佐藤雪山(せつざん)に入門し算学を学び、安政6年(1859年)6月江戸に出て箕作阮甫(みつくりげんぽ)の塾に入り天文学、窮理学(きゅうりがく)等を学びました。有名な「三元素略説(さんげんそりゃくせつ)」を著したのもこの頃で、西洋の物理学に刺激されて、温素(おんそ)(熱)・光素(こうそ)(光)・越素(えっそ)(電気)の三元素を立て、これが根本において同一のものであるとし、すべての物理現象を説明しようとしたものです。

また、明治3年(1870年)には、当時使われていた太陰太陽暦から、太陽暦への改暦の建白(けんぱく)を当時の集議院(しゅうぎいん)に対して行った日本科学史上の先駆者の一人です。

現在、遺稿・地図・日記・測量具等138点の資料は、小千谷市教育委員会で保管しています。

文化財指定日 1957年2月25日

広川晴軒愛用の測量用具の画像晴軒愛用の測量用具

広川晴軒の遠眼鏡の画像晴軒使用の遠眼鏡

広川晴軒の天球儀の画像天球儀

広川晴軒による改暦の建白書の画像明治三年に当時の集議院に送った建白書

広川晴軒の著した三元素略説の表紙の画像晴軒の著した三元素略説の表紙

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