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名誉市民 西脇済三郎(にしわき さいさぶろう)

印刷ページ表示 更新日:2011年4月8日更新

実業家。1880年小千谷の富豪 西脇 国三郎(雲林)の長男として生まれた。学習院に学んだ後イギリスに渡り、1908年(明治41年)ケンブリッジ大学を卒業した。帰国後、西脇銀行を創設し、その社長となった。

その後、新潟県農工銀行、小千谷銀行の取締役、太陽生命社長を歴任した。その間、公共事業に巨額の寄附をなし、さらに育英資金を出資して、人材の養成に尽力するなど、県内の産業・教育の発展に寄与した。

西脇済三郎(1880年~1962年)の画像
西脇済三郎(1880年~1962年)の画像

西脇済三郎年表

1880年(明治13年) 12月23日出生(小千谷市本町出身)。

1903年(明治36年) 3月 学習院大学卒業。

英国ケンブリッジ大学留学。

1906年(明治39年) 船岡公園を一般に開放。

1909年(明治42年) 5月 小千谷小学校校舎(男子部)寄附(建築費 26,500円)。

1910年(明治43年) 株式会社 西脇銀行社長。

1911年(明治44年) 11月 太陽生命保険相互会社社長。

1921年(大正10年) 6月 小千谷小学校校舎(女子部)及び、敷地の寄附(校舎1,220坪 敷地4,150坪)。

1925年(大正14年) 8月 財団法人 小千谷病院理事長。

1936年(昭和11年) 2月 台湾銀行監査役。

1962年(昭和37年) 3月21日死去。 従五位 勲四等瑞宝章。

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